【体験談】自分を変えるための挑戦の10ヵ月〜20代女子のワーホリ生活〜
迫田 伊代さん 2016年6月10日
大学卒業後、金融関係の会社に就職をされお仕事をしていた迫田伊代さん。
毎日不自由なことはないけれど、どこか物足りなさを感じ、「自分を変えたい!」という想いがワーキングホリデーをしようと思った原動力。
選択肢が自分の前に提示された際、いつも「自分が成長出来る場所」を選択しながら生活をしていた、伊代さんのワーホリ体験記です。
行動することから始めた渡航のきっかけ
「やりたい」より「しなければいけない」を優先させていた毎日の中で、これでいいのか、自分のしたいことは何なのかと考えてばかりいました。世間体を気にしてつまずかないように歩む人生よりも、つまずいても自分の足でもう一度歩きだす強さがほしい。幸せになる勇気と行動力がほしいと思っていた時に、「海外に住んでみたい」と思いつきました。
いつも考えてばかりで動かなかった自分を変えたい!という想いが強くなり、留学を決意しました。
最初の目的地はQLD州のブリスベンへ
英語の基礎を学ぶために語学学校へ
私は、自分で渡航後の最初の滞在先を手配してからブリスベンに到着しました。
どうしても学校は自分の目で見てから決めたいという気持ちがあったため、日本にいる間からカウンセリングをしてもらい、学校見学をする学校を決定、ブリスベンに到着後学校見学をして雰囲気を見てから学校を決めました。
その中から自分の目で見て雰囲気の良いと感じたILSCに通学をすることを決め、English communicationコース(最初に皆さんが通学する一般英語コース)のPre-Intermediateレベル(初中級レベル)で10週間学校生活を送りました。
クラスメイトはブラジル人、韓国人が多く、ラッキーなことに8週間はクラスで日本人は自分だけでした。クラス全体で仲が良く、よくバーベキューをしたり、放課後一緒に遊びに行ったりしました。
学校ではイングリッシュオンリーポリシーという母国語を一切話してはいけないルールがあったため、みんな英語で話していました。英語力はあまり高くなくても、英語のみで話すという訓練が出来ました。
ILSCでは午前と午後の授業を選択することが出来ます。午後のクラスは自分の弱点だと思っていた発音や文法、ボキャブラリーなど自分の学びたい分野を選択することが出来ました。
自分と向き合う時間が出来るブリスベン
シティもそれほど大きくなく、私も初めは感じていましたが、退屈だと感じてしまう人もいると思います。
ですが、私はブリスベンではとてものんびりした毎日を過ごすことが出来ました。休日にゴールドコーストや近くの島のビーチに行き、海を見て波の音を聞きながら1日中ぼーっとする時間や自分と向き合う時間が大好きでした。
海外に行ってカフェに行ったりおしゃれな街並みを歩くことも素敵な経験ですが、何も考えずにリラックスするために時間をたっぷり使うという、旅行では出来ない贅沢な時間の使い方ができてとても幸せでした。
あまり人も多くなく、リバーサイドを歩きながらサウスバンクの夜景を見るのも好きでした。
苦労をしたアルバイト探し
ILSCを卒業してからはアルバイトを探しました。日系の情報サイトである日豪プレスの求人ページを見ることもありましたが、私は主に直接レジュメを配ってアルバイトを探しました。初めはローカルのレストランやカフェでのお仕事を探していたので、お店を回り50枚程レジメを配りましたが、7月で寒くなりオフシーズンということもありなかなか仕事が見つからず、苦労しました。
語学学校の友達と励まし合いながら粘り強くレジュメ配りをし、日本人の経営している回転寿司屋さんで働けることになりました。
スポーツで繋がる楽しさを知ったハンドボール
私は高校時代にハンドボール部に所属していたのですが、アルバイト先でたまたまハンドボールをしている方が3人もいらっしゃいました。
不思議なことに、同じスポーツをしていたというだけで仲良くなれ、練習に誘ってもらうことが出来ました。そのおかげ現地の大学生や同世代の人たちと交流することができました。
高校時代にしていたことがこんなところで活きるとは思ってもいませんでした。どこでどう繋がるか、本当にわからないものだと改めて思いました。
環境の変化を求めメルボルンへ移動!
発音は自分の個性だと気づいた2校目の語学学校
ブリスベンでの生活にも満足していましたが、新しい環境で挑戦したいという気持ちが出てきたので、ワーホリも折り返し地点を過ぎた7ヶ月目にメルボルンに移動することを決意しました。
メルボルンに移動した際には、インパクトのGeneral Englishコース(一般英語コース)で4週間Intermediateクラス(中級レベル)で勉強をしました。
クラスメイトは日本人、韓国人、南米からの留学生が多く、一般英語コース(初級以外)の授業は13時15分に終わりますが、インパクトは午後からは発音やSinglish(歌を使った英語学習)などのアクティビティが毎日設けてあるので、出来るだけ参加しました。
クラスメイトにイタリア人がいて、凄く母国語のアクセントが強いのに、それを恥じることなくお店の店員さんともどんどん会話していました。私は元々発音にコンプレックスがあったので、本当にすごいなと思いました。
その反面、訛りは自分のアイデンティティと捉え、恥じるのではなく誇るものであるという考え方に気づかされました。
バリスタコースのある学校だったので、バリスタコースの生徒が作ったコーヒーが安く飲めるカフェが学内にありました。
お洒落という言葉がピッタリのメルボルン
ブリスベンに比べて大きい街で、トラムやその他の公共交通機関も充実していたので、よくシティに遊びに行きました。
特に州立図書館で勉強するのが好きでした。外観、内装も英国的でおしゃれで、凄く豊かな気持ちで勉強することができました。
また、メルボルンはおしゃれなカフェやお店が多く、またクイーンヴィクトリアマーケットで新鮮なお肉や魚介類を買い、休みの日には家でのんびり料理をして食べるのも凄く好きでした。
シェアハウスに一緒に住んでいるフラットメイトと仲が良かったので、家で一緒にご飯を食べたり、映画を見たり、お酒を飲んだりしたのがすごく楽しかったです。
掛け持ちをしたメルボルンでのアルバイト生活
メルボルンはブリスベンよりも大きい街で、お店が多かったですが、ブリスベンと比較をすると少し時給の安いお店が多いように感じました。私はお寿司屋さんとラーメン屋さんを掛け持ちしていました。お寿司屋さんは日本でイメージするものではなく、ハンドロールを売っていました。制服もなく私服にエプロンで、内装も雑貨屋さんのような少しおしゃれな雰囲気のお店でした。
ビーチハンドボールでさらに友達の輪が広がりました
メルボルンではビーチハンドボールの練習に参加していました。
そこでは日本人はおろかアジア人も自分だけで、ビーチで波の音と風の中でハンドボールをして、友達を作る・ビーチハンドボールを楽しむという時間を過ごしていました。
オージーの他にヨーロピアンも多かったので、今まで会ったことのない国の人とも話をすることが出来、楽しい時間を過ごすことが出来ました。
自分のペースで生きる大切さを学べたオーストラリア
オーストラリアの人はみんな親切でフレンドリーで、バイト中にレジをしてても必ず笑いかけてくれたり、街中で道に迷ったり重い荷物を運んでいたらすぐに助けてくれる人がとても多かったです。
オーストラリアの青く高い空とのんびりした雰囲気が大好きでした。
また学校のクラスメイトやフラットメイトと自分の国の言葉を教え合ったり、料理を作り合って、いろんな国の料理や文化を楽しむことができたことも凄く思い出に残っています。
そしてなにより、周りに振り回されず自分の人生を自分のペースで生きていくことの大切さと素晴らしさを教えてくれた場所でした。
挑戦し続けていたらたくさんの幸せが訪れました
オーストラリアの滞在では、「自分がどうしたいか、どう感じるか」を意識して生きられるようになりました。
ゴールドコーストのサーファーズパラダイスのビーチで行ったフリーハグや誰でも参加をすることが出来るコミュニティのMeetupへの参加など、様々なことに挑戦して、変わっていくことや挑戦することを楽しめるようになりました。またそうしているうちに不思議とラッキーなことが起こるようになりました。
帰ってきてからもせっかく伸びた英語力を無くしてしまいたくないな、と思っていたら、ち
ょうど友人からの紹介があり、今は英会話教室でアルバイトをしています。
外国人に限らず、いろんな人と話をしていろんな刺激を受け、また英語の勉強を継続し、今後に活かしていきたいと思っています。
私と同じように悩んでいる20代女子へ
オーストラリアでの滞在は、色々な国の人や異文化に触れることはもちろんですが、そのなかでより自分とじっくり向き合える機会でもあると思います。
住む場所、周りの人、時間の使い方、すべて日本にいる時と変わって、それでも変わらないものが私の芯なんだと気づくことができました。
仕事を辞めること、知らない世界に飛び込んでみることはすごく勇気がいることだと思いますが、思っていても自分が行動しないと何も変わりません。
でも行動すれば必ず何かは変わります。留学をしてそれで終わりなのではなく、1つのきっかけだと思います。
その後変わった自分で何をするのかが大切なんだと私は思います。
立ち止まったり悩んだりしてもいい、自分らしく後悔のない人生を送れるように、全力で楽しみましょう、人生楽しんだもん勝ちです!