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日本の学校で先生をしていらっしゃるHiro様より、ゴールドコーストで英語教師宅でホームステイをされた体験談を送っていただきました。
たった1週間のご滞在でしたが、ご帰国の際はHiro様をはじめ、ファミリーみんなで涙、涙のお別れでした。
オーストラリアの家族の一員として過ごされた貴重な1週間の体験談、是非お読みください!
英語は、もう30年以上もまともに勉強していない上、学生のころも苦手な科目でした。
今までの人生で受験以外に英語の必要性を感じませんでしたが、この年になって英語ができないことで、自分の世界を狭めていることに遅ればせながら気づき始めました。
娘が海外に住んでいるときなど会いに行くのも大変でした。私は、小学校の教員をしているのですが、せっかく海外の先生と交流のチャンスにめぐまれても簡単なことを伝えることさえ、通訳の方が必要でした。私の中で「英語」は、勉強の題材であってもコミュニケーションの道具になっていなかったと思います。
私の現情をお話すると英語教師宅ホームステイをすすめていただきました。五十歳もとうにすぎて過ごす英語しか通じない一週間の暮らしは、どうなるのだろうと思うととてつもない大冒険のような気持ちがしました。
5人家族でした。奥様が英語の先生で、ご主人と3人のお子様がいらっしゃいました。
中学生の男の子、小学校6年生の女の子、4年生の男の子です。アルフィーとキングトンという2匹の大きなワンちゃんもいました。
日本は、夏休みでしたが、涼しいオーストラリアは、休みが終わって学校が始まっていました。ご家族は、フットボール(ラグビー)の大好きなスポーツ一家で、ご主人は、下の男の子のラグビーチームの監督、奥様は、マネージャーでした。お二人は、親御さんたちの中でもリーダー的存在の方たちで面倒見がよく、親御さんの相談にのったり、チームの子どもたちの世話をしたりしている仲の良いご夫婦でした。
三人の子どもたちは、夕食の手伝いなどよくやっており、私にもたくさん話しかけてくれました。特に真ん中の女の子は、「将来の夢は、学校の先生」と話してくれ、本やテレビをいっしょに見たり、折り紙やあやとりなどいっしょにしたりしました。ホームステイの終わる頃には、ワンちゃんたちもすっかりなついてくれ、家族の一員として認めてくれたように思います。
初心者にとって、ご家族のあたたかい愛情は、とても重要です。たどたどしい英語でも聞きとろうとしてくれる愛情こそが学ぶ力になることを身をもって体験しました。 英語学校に通うだけでは、得られない学習体験ができたと思います。いつも小学校では、教える立場にいますが、教えられる立場になって児童の気持ちを心から実感しました。
何もかもがレッスンでした。一週間しかなかったので、ありとあらゆることを知りたいと思いました。
家の中の物で、私が英語で言えなかった物には、カードに単語を書いてその物に貼り付けてくれました。
現在、過去、未来の言い方もすっかり忘れていたので先生といっしょに整理して覚え直しもしました。
お金の数え方、ショッピングのしかた、予約のとり方、約束のしかたなど教えてもらいました。料理を作りながら英語を学んだり、子どもたちのドリルを教えてもらったり、絵本を読んだり、毎日、日記を書いて添削してもらったりしました。
スーパー、本屋さん、フードコート、サイエンスフェスティバル、レストランやカフェへも連れて行ってもらい、生活の中で生きた英語を学びました。子どもたちの学校にも連れていってもらい、いっしょに授業を受けさせていただきました。ラミントン国立公園でオーストラリアの自然についても教えてもらいました。子どもたちといっしょにアニメを見たのもレッスンの内容のひとつかもしれません。
辞書をひく時間はあまりなく、先生がやさしく言い直してくれたり、例をあげてくれたり、図や絵をかいてくれたりすることをたよりに理解していきました。
毎日が驚きと発見の連続で、わかっていることやみんなの表情やしぐさなどもヒントに少しずつ英語の生活に慣れていったと思います。
自分の言葉がコミュニケーションの道具となってきたことを感じたとき、うれしくて楽しくて、話したくてたまらないような気持ちがしました。普段使っていない部分の脳を使っている感じも快い感じでした。
朝、目がさめると小鳥の声と涼しい風。家族のみなさんと挨拶をかわし、朝食を各自で用意します。
子どもたちが飲み物のある場所を教えてくれたり、先生やご主人が作るのを手伝ってくれたりしました。オーストラリアの方は、パンにベジマイトというのをぬるのが好きです。ちょっとしょっぱくて私もすぐ好きになり、ほとんど毎朝ベジマイトを欠かさずパンにぬって食べました。
そのあとは、子どもたちを車で学校まで送っていくのですが、私もついて行きました。小学校は、私立の小学校でしたが、校舎が敷地内に点在していてとても広くてきれいな学校でした。担任の先生もオープンですぐに私を教室に招き入れてくださったのには、驚きました。日本の学校では、あまり考えられないことでした。
ご両親は、子どもたちの学校、スイミングスクールの送り迎え、フットボールの練習など手分けして協力してやっている姿が印象的でした。子どもたちの試合にも応援に行きましたが、我が子への熱い応援は、オーストラリアも日本も同じでした。
オーストラリアは、国土が広いせいか、あるいは、ホームステイ先が町から少し離れていたせいか、車での移動が中心です。学校も買い物も練習のグラウンドへも徒歩や自転車では、行けない距離にあります。私は、「遠い。」と思いましたが、彼らは、車でとばして30分の距離くらいなら「とても近い。」と言います。
夕食は、たいてい先生が作っていました。でもバーベキューのときは、ご主人が率先して作ってくれました。
親たちが食事を作っていると、子どもたちは、テーブルにお皿やナイフフォークを並べます。食事がすんだら、作った人は休んで、あとの人が分担して片付けをするのがルールのようでした。
水は、大変貴重なので、洗剤の入った水で食器を洗ったらそのまま、布巾で拭いてしまいます。「ゆすぐ」ということはしないのも驚きでした。先生は、「食洗機がこわれてしまったけど、うちには、「子どもたち」というすばらしい食洗機があるから大丈夫。」と言っていました。「残菜は、うちの場合、ワンちゃんたちがコンポストなの。とってもエコでしょ。」と笑っていました。シャワーも水が貴重なので節約して短時間ですませていました。
夕食後は、テレビを見ることもありました。ちょうどオリンピックの時期だったのですが、オーストラリア中心の放送なのであまり日本が映らず、たまに日本が映るとみんなで応援してくれました。もちろん私もオーストラリアの選手を応援しました。日本では、あまり見ないボート競技をよく見ました。子どもたちは、就寝時間になるとご両親とハグをして寝ます。ほほえましい光景でした。
オーストラリアの夜の星は、明かりが少なく暗いのでたくさん見えてとてもきれいでした。南十字星も輝いていました。日本では、すぐみつかる夏の星座も南半球なのでさかさまになっていて、ちょっと違う角度から見る夜空が、外国から見るちょっと角度の違う世界と重なって見えました。
子育て前や結婚前の方たちならオーストラリアのご家庭から学ぶことは、本当に多いと思います。私は、もう少し早く知っていれば・・・!!と思うことしきりでした。また、学ぶ立場にたつことは、教える立場のヒントを多く得られます。学校の先生にもおすすめです。
50を過ぎて、記憶もさだかでない受験英語が、ほんの少しでも心を通わせあえる言葉になったことは、大きな喜びで、世界も広がる感じがして新たな「人生の楽しみ」の発見と思えました。
そして、ホームステイから四ヶ月。クリスマスイブにオーストラリアからプレゼントとカードが届きました。お菓子やクリスマスのオーナメントが入っていました。それに「ベジマイト」!!先生と女の子からのカードになつかしさのあまり、思わず涙がこぼれました。私には、オーストラリアの家族がいます。そのことが今回のホームステイの一番の宝物かもしれません。
お世話してくださったオーストラリア留学センターの皆様に心からお礼申し上げます。
東京在住 HIRO