【体験談】Curtin University of Technology

大石 由香里さん 1970年1月1日

ワーホリで不満、学生として再びパースへ

私が、初めてパースにやってきたのはワーキングホリデーでした。ワーホリの1年間、それなりに楽しいときを過ごし、資金も尽きて、いよいよ日本に帰るというとき、自分のあまりにもお粗末な英語力に気づいたんです。そのときの私の英会話能力といえば、電話がかかってくるたびに、何といって出ればいいのかわからなくてビクビクするほどひどいものでした。

日本に帰国したあと、私はひたすら働き続け、1年間分の学費と生活費を貯めて、今度は学生として、再びパースに。初めのELICOSでの3か月間は、今思えば本当に極楽。英語力も順調に伸び、ほかの国からきた人たちとも友だちになれて、万事がうまいぐあいに進んでいました。ところが、問題はその後に起ったのです。

IELTSという英語力を判定するテストで、とてもいいスコアを取った私は、先生や周りの人たちが止めるのも聞かず、ファンデーションコース(大学の基礎コース)に強引に入学。それからは毎日、死にもの狂いで勉強するはめになったのです。次から次に出される山のような課題を前に、もうすべてを投げ出して日本に帰ってしまおうと何度も思いました。そのうえ、もっとつらかったのは、クラスでひとりも友だちができなかったことです。

そのころの私は、周りの人たちよりも英語力が劣るというだけで、すべてに対して自信をなくしていて、本当の自分を出すことができなくなっていました。みんなが楽しそうにしていても、自分から話しかけられず、いいたいこともいえない、そんな状態が半年近く続きました。そこから抜け出すまでには、人の5倍も10倍も時間をかけて勉強して、ちょっとずつ自信をつけていきました。このときにわかったのが、自分もやればできるという強い意志をもつことでした。

一歩ずつ、現地に近づく自分がわかる

大学に入ってからは、私の本来の積極性を発揮することができ、オージーの友だちなども増えてきました。でも、たまに疎外感がありました。みんなで会話を楽しんでいるときは、「みんな仲のよい友だち」という感じですが、深刻な話や悩みごとを打ち明ける場になると、オージーはオージー同士、日本人は日本人同士みたいなところがあったからです。どこまでいっても、言葉と文化の違いは重いなと感じたものです。

でも最近、クラスメートのひとりが私に相談があるというので聞いてみると、「ユカリは人の話を真剣に聞いて、一生懸命考えてくれるから、相談にのってほしかった」といわれました。それを聞いたときは、心からうれしくて、やっと「ただの友だち」から「本当の仲間」になれた気分になれました。その後、ほかの子からも恋愛相談を受けたりして、一歩ずつ、みんなと近づいている感じがして、すごく感動しています。

人それぞれだと思うけど、私はここまでたどりつくのに3年かかりました。コミュニケーションがうまくいかなかったり、文化の違いでわかり合えなかったりして、何度もいやな思いをしたからこそ、今、こんなに感動できるんだと思います。